北里柴三郎という名前を聞いたことのある方は多いかと思います。
2024年度に新しく作られる1000円札の肖像に選ばれていますよね。
知っているようで知らない?彼の功績についてまとめてみました。
Contents
北里柴三郎は何した人?
まずは北里柴三郎が何をした人物かについて見ていきます。
「近代医学の父」として慕われている北里柴三郎の主な功績としては、次のようなものが挙げられます。
細菌学の研究
私立伝染病研究所の設立
後輩の育成
北里柴三郎(1852 – 1931)。細菌学者。ドイツに留学、コッホのもとで学び、1889年に破傷風菌の純粋培養に成功、翌年にはベーリングと共にジフテリアの血清療法を発表した。帰国後、北里研究所を創立。ほか、ペスト菌を発見した。 pic.twitter.com/klJWwzjm1D
— 肖像画bot(試験運用中) (@botportrait) August 12, 2022
北里柴三郎が大切にしたのは一言で言うとすると、「予防医学」です。
この考えを重んじて細菌学の分野で研究に取り組み、医学の発展に大きく寄与しました。
その活躍は国内のみにとどまらず、多くの方の命を救うことにつながりました。
この後、この三つについて詳しくご紹介します。
北里柴三郎の功績を詳しく紹介
ここでは、北里柴三郎の功績を詳しく紹介していきます。
2024年に行われる紙幣改正において、1000円札に決定しているのが北里柴三郎博士である。まさかのダークホース。僕もぶっちゃけビックリした。
「近代日本医学の父」と言われ、ペスト菌を発見したり、血清を開発したりして「なんでノーベル医学賞をもらえないのか意味不明」とまで言われる人である。 pic.twitter.com/QJg6hkZnd7— 理容室たま (@riyotama) August 8, 2022
細菌学の研究
北里柴三郎はドイツへ留学しました。
結核菌発見などの業績で知られる、病原微生物学の第一人者、ローベルト・コッホのもとで学びます。
コッホと非常に仲良くなった北里柴三郎は、1889年に世界で初めてとなる破傷風菌の純粋培養に成功しました。
翌年の1890年には破傷風菌の毒素を中和する抗体を発見しました。さらに、「血清療法」を開発します。
血清療法とは、毒素を無毒化・弱毒化して少量ずつ注射することで体内でその抗体を作り、病気の治療や予防が可能になる、というものです。
この方法は、ジフテリアという病気などにも応用されています。
また、北里柴三郎は1894年にペスト菌も発見します。
ペストは人類史上もっとも致死率が高いと恐れられた病気で、ヨーロッパの人口の3分の1が亡くなったと言われています。
北里柴三郎はその功績により、「感染症学の巨星」と言われています。
明治時代を振り返る画像。
『北里柴三郎』
プロフィールは→https://t.co/o6sQI59eZB#明治時代#歴史#学者・教育者#世界初#日本初#創業者#海外で評価高い#昭和まで生きた pic.twitter.com/3uA93LkvqF— 幕末ガイド@青天を衝け記事配信中 (@bakumatsu_g) August 7, 2022
私立伝染病研究所の設立
1892年、帰国した北里柴三郎は私立伝染病研究所を設立しました。
この研究所の設立に欠かせないのが福沢諭吉です。彼の援助のおかげで研究所は設立されたのです。
また、日本初となる結核の専門病院も設立し、結核の予防と治療のために貢献されています。
私立伝染病研究所は国立伝染病研究所となり、規模も拡大していきます。
現在の東京大学医科学研究所はこの流れをくんでいます。
1914年には私立北里研究所を設立、狂犬病やインフルエンザ、赤痢などの血清開発を続行しています。
こちらは現在の学校法人北里研究所となっています。
新札に描かれる肖像が発表されたのだ!!
1万円札は渋沢栄一、5千円札は津田梅子、そして千円札は北里柴三郎なのだ!!
北里柴三郎が伝染病研究のために創立した北里研究所医学館・本館は、明治村に移築・保存されているのだ(`•ω•´)
明治村ゆかりの偉人が選ばれてワガハイも嬉しいのだ♪ pic.twitter.com/VbDHimQMtu— 明治村【公式】ฅ^•ω•^ฅ (@meijimura_pr) April 9, 2019
後輩の育成
北里柴三郎は現在の慶應義塾大学医学部(1917年当時は慶應義塾大学医学科)の創設にも関わりました。
福沢諭吉の没後15年目にあたる年で、私立伝染病研究所の援助への恩返しという意味合いもあったでしょう。
北里柴三郎は、初代科長、病院長に就任しています。
そして、終生無給でその発展のために尽力しました。
北里柴三郎のもとで学んだり、ともに仕事をしたりした仲間の活躍については、次でも詳しくご紹介いたします。
2024年に行われる紙幣改正において、1000円札に決定しているのが北里柴三郎博士である。まさかのダークホース。僕もぶっちゃけビックリした。
「近代日本医学の父」と言われ、ペスト菌を発見したり、血清を開発したりして「なんでノーベル医学賞をもらえないのか意味不明」とまで言われる人である。 pic.twitter.com/QJg6hkZnd7— 理容室たま (@riyotama) August 8, 2022
北里柴三郎の弟子は野口英世!
最後に、現在の1000円札の肖像で馴染みが深い野口英世と北里柴三郎の関係と、医学界で活躍した北里柴三郎の弟子をご紹介します。
北里柴三郎は、自身の研究に加えて、後輩たちの育成にも力を注いでいました。
野口英世
北里柴三郎の弟子として代表的な人物こそが野口英世です。
努力だ。勉強だ。 それが天才だ。
誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。
野口英世pic.twitter.com/As2Jci2tfi— 前向きな言葉 (@maemukikotoba1) August 7, 2022
彼は、医師、細菌学者として活躍し、黄熱病の研究中にその病に倒れたことで知られています。
野口英世は幼い頃に大やけどを負い、左手に障害がありました。
農業は厳しいと考えた母の勧めで学問で身を立てるために努力します。
左手のことを嘆く作文が教師らの心にささり、それにより集まったお金をもとに左手の手術を受け、左手の指が動かせるようになったのです。
その出来事に非常に感激したことが野口英世が医学の道に進むきっかけとなったのです。
おはようございます
新1000円札に採用される北里柴三郎氏と先に採用された野口英世氏は師弟関係でもありました
共に世界で起きた伝染病と戦った日本の偉人です
近代日本医学の父、北里柴三郎氏はエミール博士と共同で行った破傷風とジフテリアの研究にて血清療法を必見しました今日も笑顔でね🍀*゜ pic.twitter.com/gPTKbFn0Yg
— カノン (@RaNHrZYOBRGi6TF) December 3, 2021
野口英世は上司に頼んで伝染病研究所に勤め始めます。
外国語の能力を買われて、外国図書係として研究所にやってくる人との交渉や通訳などを担当していました。
管理していた蔵書が貸し出した末に売却されるという事件が起こってしまいます。
これを理由に野口英世は研究所内の勤務から外され、横浜港検疫所の検疫官補となります。
しかし、この異動は、北里柴三郎の計らいによるものでした。
北里柴三郎、業績的には先にお札になった野口英世よりはるかに大きいんですよね。
野口英世の業績は今となっては梅毒患者の脳組織と脊髄からの細菌の発見くらいしか残っておらず、他の業績の大半は後に誤りと判明して否定されている…— かも (@R3000C) August 10, 2022
野口英世はここでペストの患者を発見します。この仕事ぶりが認められ、世界を飛び回る医師として活動していきます。
北里柴三郎の理解が、野口英世の活躍には不可欠だったのではないでしょうか。
野口英世記念館行ってきました~ pic.twitter.com/4gUeMUt362
— was🐬@旅行中✈️ (@was_PBer) August 15, 2022
志賀潔(しが きよし)
北里柴三郎には、野口英世以外にも医学界で有名な弟子がいます。
例えば、赤痢菌の発見で知られる志賀潔。
2月7日
149年前の今日、「トリパンロート」の命名や「赤痢菌」の発見などで知られ、慶應義塾大学医学部教授や朝鮮総督府医院長、京城帝国大学(現在のソウル大学校)医学部部長、北里研究所顧問などを歴任した、医学者で細菌学者の志賀潔の誕生日。 pic.twitter.com/KeXWjwEvAW
— 今日は、何の日? (@d0f6xLUBninDqYa) February 6, 2020
北島多一(きたじま たいち)
ハブ毒の血清療法を確立した北島多一。
(画像引用:ウィキペディア「北島多一」)
彼は北里柴三郎の死後、北里研究所の所長を務めた人物です。
秦佐八郎
梅毒の特効薬であるサルヴァルサンを創製した秦佐八郎も北里柴三郎の弟子です。
サルヴァルサンは、世界初の抗生物質と位置付けられています。
エールリッヒと秦佐八郎。
後に梅毒の特効薬サルバルサンを開発する2人。
秦は伝染病研究所時代の野口英世の同僚。 pic.twitter.com/CJJViAcCjd— ヘルニア夫 (@hernia75187806) September 7, 2020
宮島幹之助
宮島幹之助(みきのすけ、かんのすけとも読む)は、マラリアや日本住血吸虫症など、虫が媒介する病気の研究で業績をあげました。
(画像引用:ウィキペディア「宮島幹之助」)
宮島幹之助は、北里研究所の副所長を務めたり、国際連盟保健機関の日本代表として欧米の衛生状態を視察するなどの活躍をしました。
北里柴三郎のもとで学んだ多くの人たちの活躍により、人類は多くの病気と向き合い、安全で健康な生活を手にすることができたのですね。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今後も北里柴三郎の精神を受け継いだ人たちが多く生まれ、医学会で多くの発見や進歩があることと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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