北里柴三郎は何した人?功績まとめ!野口英世の師匠ってホント!?

北里柴三郎という名前を聞いたことのある方は多いかと思います。

2024年度に新しく作られる1000円札の肖像に選ばれていますよね。

知っているようで知らない?彼の功績についてまとめてみました。

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北里柴三郎は何した人?

まずは北里柴三郎が何をした人物かについて見ていきます。

「近代医学の父」として慕われている北里柴三郎の主な功績としては、次のようなものが挙げられます。

北里柴三郎の功績

細菌学の研究
私立伝染病研究所の設立
後輩の育成

北里柴三郎が大切にしたのは一言で言うとすると、「予防医学」です。

この考えを重んじて細菌学の分野で研究に取り組み、医学の発展に大きく寄与しました。

その活躍は国内のみにとどまらず、多くの方の命を救うことにつながりました。

この後、この三つについて詳しくご紹介します。

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北里柴三郎の功績を詳しく紹介

ここでは、北里柴三郎の功績を詳しく紹介していきます。

細菌学の研究

北里柴三郎はドイツへ留学しました。

結核菌発見などの業績で知られる、病原微生物学の第一人者、ローベルト・コッホのもとで学びます。

コッホと非常に仲良くなった北里柴三郎は、1889年に世界で初めてとなる破傷風菌の純粋培養に成功しました。

翌年の1890年には破傷風菌の毒素を中和する抗体を発見しました。さらに、「血清療法」を開発します

血清療法とは、毒素を無毒化・弱毒化して少量ずつ注射することで体内でその抗体を作り、病気の治療や予防が可能になる、というものです。

この方法は、ジフテリアという病気などにも応用されています。

また、北里柴三郎は1894年にペスト菌も発見します。

ペストは人類史上もっとも致死率が高いと恐れられた病気で、ヨーロッパの人口の3分の1が亡くなったと言われています。

北里柴三郎はその功績により、「感染症学の巨星」と言われています。

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私立伝染病研究所の設立

1892年、帰国した北里柴三郎は私立伝染病研究所を設立しました。

この研究所の設立に欠かせないのが福沢諭吉です。彼の援助のおかげで研究所は設立されたのです。

また、日本初となる結核の専門病院も設立し、結核の予防と治療のために貢献されています。

私立伝染病研究所は国立伝染病研究所となり、規模も拡大していきます。

現在の東京大学医科学研究所はこの流れをくんでいます。

1914年には私立北里研究所を設立、狂犬病やインフルエンザ、赤痢などの血清開発を続行しています。

こちらは現在の学校法人北里研究所となっています。

後輩の育成

北里柴三郎は現在の慶應義塾大学医学部(1917年当時は慶應義塾大学医学科)の創設にも関わりました

福沢諭吉の没後15年目にあたる年で、私立伝染病研究所の援助への恩返しという意味合いもあったでしょう。

北里柴三郎は、初代科長、病院長に就任しています。

そして、終生無給でその発展のために尽力しました。

北里柴三郎のもとで学んだり、ともに仕事をしたりした仲間の活躍については、次でも詳しくご紹介いたします。

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北里柴三郎の弟子は野口英世!

最後に、現在の1000円札の肖像で馴染みが深い野口英世と北里柴三郎の関係と、医学界で活躍した北里柴三郎の弟子をご紹介します。

北里柴三郎は、自身の研究に加えて、後輩たちの育成にも力を注いでいました。

野口英世

北里柴三郎の弟子として代表的な人物こそが野口英世です。

彼は、医師、細菌学者として活躍し、黄熱病の研究中にその病に倒れたことで知られています。

野口英世は幼い頃に大やけどを負い、左手に障害がありました。

農業は厳しいと考えた母の勧めで学問で身を立てるために努力します。

左手のことを嘆く作文が教師らの心にささり、それにより集まったお金をもとに左手の手術を受け、左手の指が動かせるようになったのです。

その出来事に非常に感激したことが野口英世が医学の道に進むきっかけとなったのです。

野口英世は上司に頼んで伝染病研究所に勤め始めます。

外国語の能力を買われて、外国図書係として研究所にやってくる人との交渉や通訳などを担当していました。

管理していた蔵書が貸し出した末に売却されるという事件が起こってしまいます。

これを理由に野口英世は研究所内の勤務から外され、横浜港検疫所の検疫官補となります。

しかし、この異動は、北里柴三郎の計らいによるものでした。

野口英世はここでペストの患者を発見します。この仕事ぶりが認められ、世界を飛び回る医師として活動していきます。

北里柴三郎の理解が、野口英世の活躍には不可欠だったのではないでしょうか。

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志賀潔(しが きよし)

北里柴三郎には、野口英世以外にも医学界で有名な弟子がいます。

例えば、赤痢菌の発見で知られる志賀潔

北島多一(きたじま たいち)

ハブ毒の血清療法を確立した北島多一

(画像引用:ウィキペディア「北島多一」

 

彼は北里柴三郎の死後、北里研究所の所長を務めた人物です。

秦佐八郎

梅毒の特効薬であるサルヴァルサンを創製した秦佐八郎も北里柴三郎の弟子です。

サルヴァルサンは、世界初の抗生物質と位置付けられています。

宮島幹之助

宮島幹之助(みきのすけ、かんのすけとも読む)は、マラリアや日本住血吸虫症など、虫が媒介する病気の研究で業績をあげました。

 

(画像引用:ウィキペディア「宮島幹之助」)

宮島幹之助は、北里研究所の副所長を務めたり、国際連盟保健機関の日本代表として欧米の衛生状態を視察するなどの活躍をしました。

北里柴三郎のもとで学んだ多くの人たちの活躍により、人類は多くの病気と向き合い、安全で健康な生活を手にすることができたのですね。

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まとめ

いかがだったでしょうか?

今後も北里柴三郎の精神を受け継いだ人たちが多く生まれ、医学会で多くの発見や進歩があることと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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