河野太郎の父の現在は?元政治家で祖父は副総理!家族が凄すぎた!

奥様がとってもキレイなお方だったり、SNSで様々な情報や面白コメントを投稿したり、何かと話題に上がる河野太郎氏。

実は凄いご家庭で生まれ育ったってご存じでしたか???

この記事では、河野太郎氏の父親、祖父、その他のご家族について、詳しく調査してお伝えします。

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河野太郎の父はどんな人?

まずは、河野太郎さんのご紹介。

河野太郎プロフィール

画像引用:Twitter

 

河野太郎プロフィール

生年月日:1963年1月10日

血液型:O型

出身地:神奈川県平塚市

学歴:慶応義塾大学経済学部中退、ジョージタウン大学国際学部比較政治学科卒業

 

小学生の頃は、ボーイスカウトに所属して活動していました。

1996年に、第41回衆議院総選挙で初当選した後から、長きにわたって政治家として日本を支えてきた方です。現在は、自由民主党広報本部長として活動しています。

河野太郎の父・河野洋平

画像引用:文春オンライン

 

河野洋平プロフィール

名前:河野洋平(こうの・ようへい)

生年月日:1937年1月15日

学歴:早稲田大学政治経済学部経済学科、スタンフォード大学へ留学

職歴:紅丸飯田社員、ニチリョウ代表取締役社長、日本陸上競技連盟会長

 

早稲田大学時代は競走部に所属していて、父親や叔父が歴任していた日本陸上競技連盟会長を務め、2013年に退任しています。

また、競走馬のオーナーブリーダーとして、父親から那須野牧場を引き継いで、オーナーとして「ナスノコトブキ(1966年菊花賞)」「ナスノカオリ(1971年桜花賞)」「ナスノチグサ(1973年優駿牝馬)」を輩出したそうです。

その関係で、現在は日本軽種馬協会会長を務めています。御年85歳ですが、お元気そうですね!!

ちなみに、那須野牧場は現在次男が社長を務めて経営しています。

そんな洋平氏の経歴はこちら。

 

政治家としての経歴

1967年 第31回衆議院総選挙初当選

1972年 文部政務次官に就任

1976年 自民党を離脱し、新自由クラブを結成して党首に就任。なんと立ち上げ時には、7月30日放送・ニッポン放送「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務めました。

1985年 科学技術庁長官に就任

1992年 内閣官房長官に就任

1993年 自民党総裁に就任

1994年 副総理および外務大臣に就任

2003年 衆議院議長に就任

2009年 政界から引退

 

凄い経歴をお持ちですね!!

政治家として日本を支えてきた洋平氏ですが、実は1976年頃から体調があまり良くなかったようなのです。

C型肝炎に感染

画像引用:photoAC

1976年頃から、異常な疲れを感じるようになり、肝機能障害を指摘されていた洋平氏。

後にC型肝炎と診断され、1997年には肝硬変に近い状態まで進行していました。

 

ここで、C型肝炎について簡単にご説明しますね。

C型肝炎とは

C型肝炎ウイルス(HCV)に感染することによって起こる肝臓の病気です。

感染経路は血液感染。現在ワクチンはなく、予防するには他人の血液に触れないよう注意することが大切です。

急性肝炎から始まり、慢性肝炎、肝硬変、肝ガンへと20~30年かけて進行していきます。慢性肝炎・肝硬変・肝ガンのおよそ60%がC型肝炎と言われていて、毎年約3万人が命を落としています。

肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれていて、なかなか症状に気がつかないため、「何となく疲れるなぁ」「最近だるいなぁ」「食欲がないなぁ」という人は注意してくださいね!

 

洋平氏はインターフェロンの治療を受けましたが、なかなか改善されずに黄疸や意識障害などの症状が出始め、2002年に息子である太郎氏から肝臓移植を受けました。

肝移植に関しては、息子の太郎氏とは口論になったそうです。

健康な子どもの腹を割いてまで、人為的に寿命を延ばすつもりはないのだと断りました。

ところが、太郎も頑固で、「肝臓をやると言っているんだから、ごちゃごちゃ言わずにありがとうともらってくれよ。それで生き延びられるなら、それでいいじゃないか」と大声を出し、私も「わからんヤツだな」と怒鳴り、しまいには口論となってしまいました。

引用:がんサポート

親としての気持ちは理解できますが、2人とも頑固ですねw

やる気もなくなり、気力も喪失していたという洋平氏でしたが、この時は元気が出てやり合えたと、笑いながら話しています。

 

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河野太郎の父の現在は?

肝移植をして2年後には、肝臓が元の大きさまで戻ったという洋平氏。

2016年に撮影された写真からは、なんだか凄いオーラを感じますwww

画像引用:読売新聞オンライン

なんとも言えない力強さが滲み出ています!!

 

そんな洋平氏は2021年9月、自民党総裁選に出馬する息子の太郎さんの支持拡大の協力を求めて、元参議院会長の青木幹雄氏の事務所を訪れました。

周りは「父親として、居ても立ってもいられないようだ」と言っていたようです。

当時58歳だった太郎氏に対し、過保護すぎるのでは?という意見もあったようですが・・・太郎氏の祖父から続く悲願でしたので、息子を応援したい気持ちはわかりますよね^^

 

残念ながら敗戦してしまった太郎氏でしたが、国民的人気があれば総裁になれる、そんな簡単なものじゃないと指摘しながら、太郎氏の敗因は「力」がなかったからだと語っていました。

私にはわかりませんが、もう一つ、力がなかったということでしょう。選挙は競争ですから、相手にこちら以上の力があれば負ける。その力が「権力」の時もあるし、「金力」の時もある。それ以外に「経験力」とか、いろいろな力が作用するものです。

引用:文春オンライン

厳しく批判するあたり、過保護だけではないということがわかります。

 

洋平氏は東京マラソン財団の最高顧問も務めているようです。

2021年7月には、自民党で特別講座を開催していました。政界を引退したとはいえ、現在もまだまだご活躍のようです^^

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河野太郎の祖父や家族がすごい!

画像引用:Twitter

家系図で見てもおわかりの通り、太郎氏の家系は凄いのですよ!(語彙力なくてすみませんw)

父親の洋平氏は前章まででお伝えした通りです。

ここでは父親以外のご家族についてお伝えしていきます。

曾祖父・河野治平

河野治平プロフィール

名前:河野治平(こうの・じへい)

生年月日:1875年1月5日(享年75歳)

経歴:神奈川県会議長、豊川村長、足柄肥料会社社長、曽我銀行取締役、小田原実業銀行専務取締役

写真はありませんでしたが、経歴は凄いです!!

祖父・河野一郎

画像引用:産経新聞

 

河野一郎プロフィール

名前:河野一郎(こうの・いちろう)

生年月日:1898年6月2日

出身地:神奈川県小田原市(当時は足柄下郡豊川村)

学歴:早稲田大学政治経済学部

経歴:朝日新聞社社員、農林大臣秘書官

1932年 第18回衆議院議員総選挙初当選

1954年 農林大臣に就任(2次、3次鳩山内閣でも農林大臣に留任)

1955年 行政管理庁長官に就任

1957年 経済企画庁長官に就任

1961年 農林大臣の就任

1962年 建設大臣に就任

1964年 副総理、国務大臣(東京オリンピック担当)

 

1965年の内閣改造の際に内閣残留を拒否し、その1か月後に動脈瘤破裂のために急死されました。享年67歳という若さでした。

死の床で「死んでたまるか」と言っていたことが伝えられていますが、実際には家族を安心させようと「大丈夫だ、死にはしない」と穏やかに言っていたそうです。

 

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母親・河野武子(旧姓 伊藤)

画像引用:Facebook

とってもお綺麗なお母さまです^^

武子さんの祖父は、伊藤忠財閥の2代目当主・伊藤忠兵衛(幼名は精一)。

弟・河野二郎

日本端子株式会社・代表取締役社長です。

日本端子では、兄である太郎氏が政治家になる前に働いていました。

 

日本端子とは

会社名:日本端子株式会社

本社:神奈川県平塚市八重咲町26-7

資本金:1億円

事業内容:無半田圧着端子・接続子の製造販売、連鎖形端子・接続子の製造販売、各種コネクタの製造販売、端末処理機械・工具の製造販売

中国に子会社が3社あるようです。

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まとめ

河野太郎氏の家族が凄い!!ということについて詳しく調べてみましたが、いかがでしたか?

曾祖父から続く政治家家系で育ってきた太郎氏でしたが、父親の存在もとても大きそうですね。

言い争いながらも、太郎氏からの生体肝移植を受けて、現在も元気そうにご活躍中の父・洋平氏。

太郎氏が総裁選に立った際には、居ても立ってもいられずに動くなど、さすが政治家と言った行動力を見せました^^

次から次へと問題が起こる世の中ですが、親子ともどものご活躍を応援します!

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