渋沢栄一がお札(1万円)に選ばれたのはなぜか?わかりやすく解説!

日本のお札が、20年ぶりに刷新されます。

新一万円札の「顔」は昨年の大河ドラマで知られる渋沢栄一です。

渋沢栄一がなぜ、新一万円札に選ばれたのか?

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新一万円札の肖像に選ばれるまでのエピソード、渋沢栄一の功績について解説していきます。

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渋沢栄一がお札に選ばれたのは2回目!

引用:アマゾン

お札のデザイン

日本のお札は人物の肖像が描かれていることが多いです。

なぜかというと、

『人は、顔の特徴や違いを識別する能力が優れているらしく、偽造されたお札の小さな変化にも気づくことができるため、偽装防止として肖像を採用されている』

と言われています。

肖像画の採用基準

お札は、全ての人が使用するものなので、その人物が国民各層から知られ、認められていて、精密な写真を入手する人物であること

が基準とされています。

渋沢栄一のお札選出|1度目(最初)は落選

渋沢栄一は、1963年(昭和38年)に発行された1,000円札の候補にあがりました。

このときは、最終的に伊藤博文に決まり、渋沢栄一は落選しました。

落選した理由は「髭(ひげ)が無い」ためでした。

当時の緻密(ちみつ)に描き込まれた髭は、偽造防止に有効とされていたためでした。

渋沢栄一のお札選出|2度目(今回)で当選

1985年(昭和60年)ころからお札の偽造防止の技術が進んだため、髭のない男性や女性の肖像を採用するようになりました。

髭のない渋沢栄一でしたが、偽造防止技術が進んだため、肖像について今回は問題ありません。

各分野で業績を残すとともに、産業の育成、女性活躍、科学の発展といった面からも日本の近代化をリードし大きく貢献した人として、一万円札には渋沢栄一が決定しました

渋沢栄一の功績については、このあとおはなしします。

お札のエピソード

実は、渋沢栄一の肖像は、海外のお札で使用されていました。

明治時代後半、日本とロシアは朝鮮半島の支配権をめぐり、日露戦争がはじまりました。

この戦争に日本は勝利し、朝鮮半島の支配権をとります。

植民地化を進めるため、朝鮮半島で当時現地で使用されていた通貨を回収されることとなり、新たに日本の通貨「第一銀行券」を発行されました。

この「第一銀行券」のお札に、当時、頭取に就任していた渋沢栄一の肖像が使われていました。

朝鮮半島で渋沢栄一のお札が一時的でも使用されていたため、今回のお札刷新について、韓国では批判的な意見も出ています。

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渋沢栄一の功績を紹介!

実業家として日本経済の発展に尽くした渋沢栄一。

渋沢栄一は1840年(天保11年)に埼玉県深谷市で生まれ、幼少期は郷里の村落で過ごしました。

青年期を過ごす頃、日本は鎖国状態でした。

ただ、ちょうど黒船が来航したタイミングで、開国を迫られていました。

そんな情勢の中、渋沢栄一は尊王攘夷運動に加わり、倒幕計画にも加担していましたが、失敗に終わります。

その後、徳川家に随行しパリ万博を視察するため渡仏しますが、その間日本では大政奉還が行われ江戸時代の終焉をむかえます。

ヨーロッパから帰国した渋沢栄一は、明治政府からの要請で大蔵省の官僚となります。

33歳で大蔵省を退職し実業家への道に進みます。

実業家になった渋沢栄一は、次の数々功績を残しました。

日本で最初の銀行を設立

渋沢栄一は、大蔵省を退官後、最初にフランス留学時代からの夢であった銀行を「第一国立銀行」という名前で設立しますが、現在の「みずほ銀行」です。

第一国立銀行の頭取に就任後も、地方への銀行開業にも支援します。

企業の設立

渋沢栄一は、より良い社会の実現のために、様々な業種から500社を超える企業を設立しました。

いくつかの企業を紹介します。

渋沢栄一が立ち上げた会社

・王子製紙(現在 王子ホールディングス)
銀行とともに最初に携わった事業。上質で安価な紙を製造するために国産化を推進。
・大阪紡績(現在 東洋紡株式会社)
欧米で安価で大量生産される綿製品に対し、コストを抑えた大量生産方法を確立。
・札幌麦酒会社(現在 サッポロビール)
日本初のビール醸造所を備えた。
・東京地下鉄道株式会社(現在 東京メトロ)
アジア初の地下鉄路線を創業。

ちなみに「論語と数盤」 についてはこちらで詳しく説明してます。

学校の設立

渋沢栄一は、日本の産業を発展させるためには、優秀な人材を育成しなければならないと、学校の設立にも尽力します。

社会貢献活動に尽力

渋沢栄一は、77歳で実業界引退しますがその後も、社会貢献活動に尽力していきます。

中でも、「養育院」(現在 東京都健康長寿医療センター)は、生活困窮者などを救済するために設立された施設です。

渋沢栄一は、事業で得た財産を、「養育院」の運営に活用しました。

その他、「東京慈恵会」「日本赤十字社」などの設立にも貢献し、約600の社会事業に携わりました。

 

渋沢栄一の1万円札はいつから?

渋沢栄一の新一万円札は2024年(令和6年度)上半期からお目見えします。

今回の新しいお札では、下記の最先端の偽造防止技術が施されています。

新一万円札の特徴

・3Dホログラム(世界初) : 見る角度によって肖像が浮き上がって見える。
・高精細すき入れ : 光に透かすと模様が浮かぶ。
・潜像模様 : お札を傾けると表面は額面数字、裏面には「NIPPON」の文字が浮かび上がる。
・パールインキ : お札を傾けると中央部にピンク色の光沢が見える。
・特殊発光インキ : お札を傾けると文字が青緑色から紫色に変化して見える。
・マイクロ文字 : カラーコピー機でも再現できない小さい文字。

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まとめ

今回は、渋沢栄一が新一万円札の肖像に選ばれた理由、日本経済を発展された数々の功績について紹介しました。

自分だけが儲けることをせず、社会のため、公益のために考え、行動を起こした渋沢栄一。

自身の考えを記した「論語と算盤」は現在の企業経営者の教養書になっています。

昨今の企業においては、利益優先で社員に重労働を課す「ブラック企業」や、経営者の不祥事も起こっています。

新一万円札を取ったとき、日本経済、資本主義のあり方について、一人一人が見つめ直すこともあってもはいいのではないかと。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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