2024年(令和6年)、20年ぶりに日本のお札が新しくなります。
新5千円札は、津田梅子の肖像が使われます。
この記事では、
津田梅子は何をした人なのか?
そして、
現在うわさされている津田梅子の「都市伝説」とは?
ということを調査しました。
Contents
津田梅子は何をした?ざっくり解説
引用:津田塾大学
津田梅子は何をした人か?一言で紹介しますと
日本女性の地位向上のために、女性高等教育に実現に生涯をかけて、津田塾大学を創立した人です。
詳しい功績を知りたい人は、次の章でじっくり紹介します。
津田梅子の功績を詳しく紹介
津田梅子の功績について紹介します。
引用:wiki
津田梅子・6歳で岩倉使節団
1864年(元治元年)、幕臣の津田仙と妻初子の次女として東京都新宿区で生まれます。
引用:津田塾大学
父の仙は、明治維新後、政府が設立した北海道開拓使の職に就き、開拓次官の黒田清隆と知り合います。
女子教育に関心のあった黒田清隆は、政府派遣の岩倉使節団に女子留学生も随行させることを企画します。
それを聞いた仙は、娘の梅子を女子留学生として応募します。
わずか6歳の梅子は、岩倉使節団の一員としてアメリカへ留学することになります。
アメリカではランマン夫妻のもとで暮らすようになった梅子は、キリスト教の洗礼を受けながら、現地の高等教育を受け、アメリカ文化を吸収して成長しました。
梅子は、11年間のアメリカ留学を終え、18歳で帰国します。
津田梅子・女性の地位向上を誓う
引用:津田塾大学
アメリカ文化を吸収した梅子にとっては、日本はカルチャーショックの連続でした。
アメリカ女性と日本女性の地位の格差に驚いた梅子は、日本女性の地位向上させることを誓います。
岩倉使節団に随行していた伊藤博文と出会った梅子は、博文の家庭教師を経て、華族女学院の英語教師に就任します。
梅子は華族女学校で教鞭を振るいながらも、ふたたび留学することを夢見ます。
華族女学院在籍のまま、留学することを許された梅子は、2年間の期限付きでアメリカに留学します。
アメリカではプリンマー大学に入学し、そこで高等女性教育の必要性を再認識します。
在学中梅子は、自分のように学びたい女性のためにと日本婦人米国奨学金制度を設立しました。
津田梅子・女子英学塾(津田塾大学)を創設
2度目の留学から帰国した梅子は、ふたたび華族女学院に教壇に立ちます。
梅子の留学は終わることなく、その後2度もアメリカやイギリスに渡航し、女性の地位向上のためには専門的な知識が必要であることを確信します。
そして1900年(明治33年)に女子英学塾(現在の津田塾大学)を創設します。
女子英学塾では、行儀作法の教育ではなく、少人数でレベルの高い教育を行いました。
梅子が残した女性の地位向上の教育理念は、現在の津田塾大学に今もなお、受け継がれています。
津田梅子エピソード
ここでは、梅子のエピソードについていくつか紹介します。
引用:津田塾大学
・6歳でアメリカ留学したために、日本に帰国したときは、通訳が必要なほど日本語を理解できませんでした。
また、晩年まで“鰻(うなぎ)”と“柳(やなぎ)”、“罠(わな)”と“穴(あな)”の聞き取りに苦労したそうです。
・津田梅子は、帰国後の日本の生活で玄関で靴を脱ぐという習慣も忘れてしまっており、しまいには靴を脱ぐのが面倒を思うほどアメリカ文化に馴染んでいました。
・当時の日本女性は人前では大声で笑うようなことはしませんでしたが、梅子は愉快なことがあれば、豪快に笑いころげるようになっていました。
・梅子は、ヘレンケラーや、ナイチンゲールとの対面も実現します。
ナイチンゲールとの対面に強い感銘を受けた梅子は、帰国後すぐに女子英学塾を作りました。
・女子英学塾での梅子の教育はスパルタ方式で、退学する生徒も続出しましたが、8人の卒業生から感謝の思いをこめた手作りの卒業ソングがプレセントされました。鬼教師と言われた梅子も大変感激したそうです。
1900年の今日、 #津田塾大学 の前身、 #女子英学塾 が開校された日☆ 日本の女子教育の先駆者といわれる #津田梅子 が塾生10人で麹町に開校したんだよー♪ 6歳のときに #岩倉使節団 に随行して渡米していたんだねー!すごーい☆ #今日は何の日 #HappyNingels pic.twitter.com/ECICpPhjav
— ハッピーニンジェルズ(公式) (@GWITHU_official) September 13, 2017
日本には様々な記念日がありますね♪
900(明治33)年9月14日
津田梅子氏らが中心となって東京・麹町に創立
津田塾大学の前身『#女子英学塾』現代におけるジェンダーの先駆けでしょうか☺
歴史において様々な方の行動が
現在の世の中に反映していますね🍀私もコツコツ前進です💕#津田塾大学 pic.twitter.com/dAnfhA9O3B
— 本保圭一郎@心を癒す料理研究家 (@kei_emperor) September 14, 2021
津田塾大学の都市伝説
引用:津田塾大学
津田梅子は62歳で生涯に幕を閉じました。
そんな津田梅子のお墓は、自身が設立した津田塾大学キャンパスの中にあります。
実は、その津田梅子のお墓には都市伝説があると言われています。
その都市伝説とは、、、
お墓参りをすると生涯独身でいることになる!!
というものです。きゃぁぁあぁあぁぁっ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
梅子が生涯独身だったからこのような呪いがあると言われています。
(いや、それは失礼だろがい!(ノ=゚ロ゚)ノ ⌒┫:・’.::ヤッテラレルカニャアアアァ)
ただその都市伝説には続きがあります。
お墓参りを1回すると結婚できなくなってしまう。
お墓参りを2回すると離婚してしまう。
お墓参りを3回すると、その呪いは解かれる。ただし、大学在籍中に3回お墓参りすること
というものです。
さぁ、知らずにお墓参りをしてしまったあなた!すぐに、3回のお墓参りを計画してください!!
キャ━━━(゚艸゚*)━━━ッ!!!
まぁ、実際は、1回のお参りで結婚したり、2回お参りしても離婚しない人もいて、信じるか信じないかはあなた次第ですけどねww
女性が津田塾大学の創始者・津田梅子のお墓参りをすると、結婚出来ないという都市伝説があるらしい。(#アド街ック天国 見てる📺️🗼)
私は一生結婚しないので、逆に津田梅子のお墓をお参りした方がいいのかもな🤣— さと (@jasminum7495) November 7, 2020
トレンドが‥
津田梅子先生のお墓がテニスコートの裏にあるという話だったが、お墓にまいると結婚できないという都市伝説があり、一度も行かないまま卒業したのである。
— はらく (@harak55) November 10, 2020
津田梅子さんの墓参りの都市伝説って「結婚できない」だとおかしいよな…?津田梅子さんは「結婚しない」を選んだのにな…?
— 眠たがり。 (@1011101FK) May 8, 2021
まとめ
今回は、津田梅子の功績と、津田塾大学の都市伝説について調査・紹介しました。
女性の高等教育と地位向上のため奮闘した津田梅子。
生涯独身を貫いて女性の育成に情熱を注いだ生き様は、
現代の女性からもリスペクトされ、ますます女性上位の社会が発展していくことに期待したいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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