藤澤五月選手は移籍?現在はLs北見所属!きっかけは本橋選手の言葉!?

カーリング業界でも人気の高い「カー娘」藤澤五月選手。

2018年には平昌オリンピックで銅メダルを獲得していらっしゃるので、みんな応援している選手の一人だと思います。

そんな藤澤選手の運命を変えた移籍について、移籍理由や感動のエピソードなど調べてみました♪

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藤澤五月選手が中部電力から移籍

実は藤澤選手、カーリング人生で所属チームを移籍しているのを知ってましたか?

高校を卒業した藤澤選手は地元である北海道を離れ、長野県の中部電力に入社し、2009年8月に「中部電力カーリング部」に入部し選手として活躍されていました!

中部電力カーリング部の創立メンバーだったそうですね。会社の仲間たちの絆をつくる為に創立されたそうですね。

画像引用:デイリースポーツ

幼少期からカーリングの才能をもった藤澤選手は、中部電力カーリング部でも入部後すぐにスキップを努めました。

パシフィックカーリング選手権に日本代表として出場したり、2011年からは日本カーリング選手権大会で4連覇をするなど素晴らしい功績を残されています!

 

 

しかし、2013年9月に行われたソチ冬季オリンピックの出場権をかけた日本代表決勝戦で、小笠原歩さん率いる北海道銀行フォルティウスに負けてしまいます。

藤澤五月選手は、カーリングを始めた頃から才能を発揮し、”負けず嫌い”を武器に、並外れた実績を積み重ねていました。

そのこともあり、この時に味わった「負け」は藤澤選手のカーリング人生において最大級の挫折感だったことと思います。

その当時、藤澤選手自身も「このままカーリングを続けていていいのだろうか」とコメントを残していました。

カーリング選手として、これから先のことにまで深く考えてしまう程、ショックが大きかったことがうかがえます。

画像引用:あかつきスポーツ

中部電力に入社後、設立メンバーとして希望に満ち溢れていた藤澤選手でしたが、この敗北によってソチオリンピックの出場権を逃してしまうという大きな挫折も味わうことになってしまいました。

そんな藤澤選手の心境を裏付けるかのように、2015年3月藤澤選手中部電力を退社し、故郷・北海道北見へ戻ることを選択しました。

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藤澤五月選手の現在の所属は?

藤澤選手の現在の所属は、カーリングで有名な本橋麻里選手の所属する「ロコ・ソラーレ」(Ls北見)です。

画像引用:朝日新聞デジタル

本橋選手は、選手でありながらもロコ・ソラーレというチームを作った創立者で、さらにはスポンサー企業を探したりするスタッフのポジションも自身でこなすカリスマ的存在の人です。

ロコ・ソラーレでは、2015年4月にスキップの馬淵恵選手が引退をしました。

画像引用:T-world

スキップとは、ゲームを組み立てる司令塔のようなポジションのことで、氷の状態をよみ、選手たちに支持をしたり、その後の展開を作っていく役割です。

チームにとっては欠かせない存在。本橋選手らロコ・ソラーレも新しいスキップを探していました。

その穴を埋めるように、実力を持つ藤澤選手がロコ・ソラーレに移籍しました。

画像引用:スポーツ報知

そして、移籍後の日本代表決勝戦で見事「中部電力」を破り、平昌オリンピック出場権を獲得したのでした!

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藤澤五月選手の移籍のきっかけは?

 

画像引用:中央日報

理由①中部電力のチーム増強への変化

藤澤選手が「中部電力カーリング部」から「ロコ・ソラーレ」(Ls北見)に移籍した一つ目のきっかけは、中部電力の会社方針が、カーリング部に注入できなくなったことだったのです。

ソチオリンピック出場権をかけた勝負で敗退した後、中部電力としてカーリング部だけを特別扱いできないという雰囲気があったそうで、平昌オリンピックへの出場に専念できない可能性も出てきたそうです。

さらに問題は続きます。藤澤選手は2015年4月の退所まで、サード・市川美余選手と中部電力の両輪としてスキップを努めていました。しかし、市川選手が2014年5月の会見で引退してしまいました。

画像引用:集英社

カーリング女子の中でも人気もあり、中部電力の原動力だった市川選手の引退により、藤澤選手にも何か気持ちの変化が訪れたのかもしれませんね…。

理由②運命をかえる「ロコ・ソラーレ」本橋麻里選手からの言葉

ソチオリンピックの出場権を逃し、失意のどん底にいた藤澤選手ですが、そんな時運命の出会いが待ち受けています。

故郷に戻った藤澤選手は、地元・常呂町で「ロコ・ソラーレ」(Ls北見)というカーリングチームを設立した先輩・本橋麻里選手と会席をする機会を持ちました。

その会席の場で、本橋選手は藤澤選手にこんな言葉をかけました。

画像引用:Pinterest

「さっちゃん(藤澤選手)も入らない?私たちはもう進んでるよ。」

本橋選手の”未来を見据えている言葉”は、カーリングの人生を閉ざそうとしていた藤澤選手のことを大きく動かすこととなりました。

その後、藤澤選手は本橋麻里選手からの言葉を信じ、ロコ・ソラーレ移籍を決意し再びカーリングをプレーすることなりました。

その移籍の決断がまさしくその後にオリンピック出場、そして史上初のメダル獲得という人生最大のステージへ進む運命の瞬間だったのですね。挫折からの這い上がり、とても感動しますよね。

藤澤選手の当時の状況で、本橋選手と出会うタイミング、そしてロコ・ソラーレに移籍する心を決めたこの経緯はまさに神様の導きですね…(涙)

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まとめ

さて今回は、藤澤五月選手の移籍に関してお調べいたしました。

いかかでしたでしょうか?

最後まご覧いただき、ありがとうございました!

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